自分が情けない

自己嫌悪というか、ちょっと自分が情けないかなあ、と思ったもので。
単なる考えすぎで終わればいいのですが…。

というのも、いつも大学からの帰りの際、天下茶屋行きの阪急電鉄の地下鉄使ってるのですが、今日の下校途中に車内で高校生が同じぐらいの年代の高校生に公開処刑の如くいじめられれているのを目の前で見せつけられているにもかかわらず、まるで見て見ぬふりをしてしまったのです。
尤も、他の人も見て見ぬふりはしてましたし、「どこにでもあること」といってしまえばそれまでなのですが、「あの時『やめてやれ』といっておくべきだったのではないか」との自責の念がどうも消えないのです。ましてやいじめられた方が自殺するという最悪の事態になったらと思うと…。*1

いじめといえば、僕も中高生時代にイジメられる方の立場にあり、不登校には陥らなかったので巷で騒がれるいじめと比べると極めて軽度ではあったもののそれなりに苦痛でした。
まあ今思えば自分も当時弄り甲斐のあるキャラだった上に、単に大げさに考えてしまっていただけだったのかもしれませんが、いくら「いじめてるつもりではない」としても結果的にいじめになることって結構あるのではないかと思ってしまいます。
とにかくその経験があることや、そのいじめがオーラは自分の時を彷彿とさせ、様相は自分の時よりひどかったというものなので尚更自責の念にかられます。

ただここまでいじめの卑劣さをといておきながら言うのもなんですが、よくよく考えると「イジメられた側は色んな意味でプラスの方向に働く」ようですし、武田鉄矢さんの「いじめは必要悪」というのも間違いではないのでしょう*2
勿論「程度を弁えた範囲内」との条件がつくとは思われますが、範囲内を超えるいじめが多いので残念です。いい意味でのいじめならともかく、そうでないものは根絶させないといけないのに…。
度を超えるいじめがなくなる日は来るのでしょうか。

*1:ただ「声をかけなければ最悪の事態にならなかった」という可能性もあるだけに微妙です。何にせよ自殺しないことを願うばかりです。

*2:人によるので一概には言えないですが、イジメを耐えぬいた側は「何をしてはいけないか」を身を以て知ることが有りますし、精神的に強くなったりもすると聞いたことがありますし。