僕の考える「SS」後日談

rx-82008-07-21

オリジナルなので解釈はいろいろですが・・・。
僕自身がやるべきことがきっとこの中にあるかもしれません。
長いので覚悟した方が良さそうです・・・。


警察がいるかもしれない、そんな状況でもダイブツと栗原はアクセルを開けていた。
とはいえ、明白な結果だった為か、最終的に警察に見つかるまでに両者共にスピードを落としきっていた為、お咎めは受けなかった。
警察は2人が峠を攻めてたろうと思ったが、警察の前で速度を出し切っていないため証拠も無かったことに加え、2人の間にただならない物を感じたのもあったのが理由である。*1

そして迎えた第26回パリダカ当日。
オスカープロ、ytv、ENEOS等をスポンサーにつけ、ラリーアートの援助もあり体制も万全だった。なお、下地のカラーリングは変わっていないようだ。
そして何よりも、経緯を知っていた人々からの注目も大きかった。


そして迎えたスタート。

パリダカ仕様に改良したこともあって走りは万全、タイヤ交換する他のチームを抜かしたりもした。

が、

第4セグを1km程過ぎたところで突然ステアリングが切れなくなった!!
そして、曲がりきれずに岩に激突してしまったのだ。
幸い搭乗者は無傷だったが、スタリオン4WDは修理が必要で、リタイヤせざるを得なかった。
2人の目標はあくまで完走することだけだったが、この地点でクラス2位だっただけに惜しかったところもあったに違いない。


これまでならここで諦めたろうが、まだチャンスがある。
それがわかっていたのか、全日ラリーと比べてわだかまりは遥かに小さかった。

その後、スポンサーをちょいちょい変更し、第27回パリダカにも出場した。
また、ダイブツや栗原に影響され、なんとRS200で出場する物まで現れたようだ。
ところが今度は栗原の指示ミスをしてしまいタイムロス、挙句エンジンブローでリタイヤしてしまったのだ。
その後、第28回でのブランクを経て第29回に出場した。
グループBエンジンとだけあって、搭載する4G63はただでさえ強力なエンジンなのはいうまでもないが、エンジンブローから立ち上がらせさらに強力な物となった。
その甲斐あってか、総合1位を叩き出し、後ろには増岡/篠塚 組のパジェロエボリューションを従えていた。
が、それで張り切りすぎたのか、またもやエンジンブローを起こしてしまったのだが、不運にも、エンジンが再起不能となってしまったのだ*2
しかも今回は思いもよらぬことが起きてしまった。テロの脅威だった。
ダイブツと栗原は幸いそんな目には遭わなかった物の、第3セグでテロリストに教われ、病院へ搬送された物もいたそうだ。
それはあのRS200で出場したドライバーで、このときもRS200で出場していたのだ。

何回も繰り返し出場してるのに完走できてない・・・。ダイブツ・栗原ともに意欲が失せかけていた。
しかしそれでもまだ想いがくすぶる・・・。そんな想いから、眠れない日々もでた。
そんな2人を支えたのは久美子や周りの人々のという声援だった。

「もう一回やってみよう」声援により、2人は再び意欲を取り戻した。
もう諦めない!!

だがその矢先、2人をあざ笑うかのごとく、驚愕の知らせが。

第30回パリダカ中止

モーリタニアの政情不安定が原因だった。残念だが命にはかえられないと言う主催側の意向だった。
落胆する2人、久美子、社長。だが、1ヶ月後、朗報が。

第31回パリダカは行われるのだった。

流石に場所は南米に移った物の、チャンスは失われてなかったのだ。
今度こそ走りきってみせる!!

そして第31回を迎えた。
三菱の研究の一環も含め、ディーゼル仕様の4B11を450馬力までチューニングした物が新たな心臓となった。
日テレも中継に力を入れ、また、ブンブクも240RSにRB26DETTを搭載して出場するようである。*3
そして迎えたスタート。

かつて無いほど手応えがよく、今度こそ絶対ミスらないとも思えるものだった。
その勢いで、レーシングトゥアレグやレーシングランサーを後ろに従えたのだった。
この様子は増岡氏のモチベーションを大きくしたのだった。

そして・・・、

長い期間を経て遂に完走したのだった!! それもなんと総合1位だったのだ!
その為、総合2位で完走した増岡選手から祝福の言葉をかけられたようである。
これだけでは終わらなかった。ブンブクの240RSが総合4位、クラス2位*4に入り、あのRS200も総合5位、クラス3位に入ったのだ。
まさに最高の結末であった。

それから数日後・・・。

日本に戻ったダイブツ、栗原をカブキとギラ子が成田空港で迎えていた。
カブキ、ギラ子は異口同音で「TVで見たけど凄いですね」と言っていた。彼ら曰く、阿久津やマリー、蘭子 他登場人物が諸々... も見ていたようである。

これを機に、ダイブツ、栗原は今の仕事と並行してラリードライバーをもう一回頑張ってみようと思ったのだった。
ブンブクも、「東海ブンブク」再建への意欲がさらに増したようである。
RS200のドライバーも、「頑張ることが大切だと痛感した」と言っていた。
一方、好成績を記念してか、スタリオン4WD、RS200、240RSは愛知県の自動車博物館に展示された。

とにかく、皆掴みたい物を掴めたに違いない。 そう思える戦いがそこにはあったのだ。


何かむちゃくちゃな気がするので忘れて結構ですが、それもちょっと悲しいかも。
ま、その場合は所詮は腕が無かったってことだからいいか。いずれにせよ、僕もああなりたい。
レプリカでもいいからスタリオン4WDがパリダカ出場したらなあ・・・。

*1:まあ、現実ではそうも行かないだろうけど。ここの辺りは、「2人は警察の包囲され、後に謹慎処分となったが、それでもパリダカまでには間に合うだろう」という方が良い気もしますが。

*2:もっとも、まだラリーアートの協力は得られていたのでそう悩むことではないようである

*3:ブンブクの拘りを考えると240RSしか選択肢が無かったらしい

*4:1位は当然スタリオン4WD